経営者は「センスメイキング」を意識

組織変革について、今回は経営者に焦点を当てた議論をしたいと思います。なお、ここでの経営者とは、社長やCEOなど、組織のトップ層を指しているとお考え下さい。
組織変革論では、変革の主導者としての組織のトップに注目が集まってきました。過去の連載で、「方針」「コミュニケーション」「仕組み」の三つを組織変革の王道と呼んできましたが、特に「方針」や「コミュニケーション」については、経営者が果たすべき役割が大きいと言えます。方針を決めるのは経営者の役割ですし、それを社員に伝える際にも、経営者の言葉の力は大きいと言えます。
この「方針」や「コミュニケーション」を考える際に、参考になる概念が「センスメイキング」です。センスメイキングの定義は様々ありますが、「人間が特定の経験や状況に意味を与える過程」のことを指します。ざっくりと、「ある物事に対して腹落ちするプロセス」と理解しても大きくは間違っていないと思います。組織がある方向に向かおうとするとき、組織メンバーが現状に対して同じ解釈をし、腹落ちをしている方が、推進力をもって進むことができます。そのため、経営者が組織変革の際に「方針」と「コミュニケーション」を通じて成し遂げたいのは、従業員のセンスメイキングであるとも解釈できます。
方針の正しさよりも大事なのは「腹落ち」すること
この「センスメイキング」の視点から経営者のあるべき姿を考えると、大事なのは「腹落ち」になります。ここで興味深いのは、方針が正しいかどうかは腹落ちにおいて必ずしも重要ではないことです。このことを示す逸話として、組織論の研究者であり、センスメイキングの代表的な提唱者であるカール・ワイクはハンガリー軍の逸話を提示しています。
「ハンガリー軍がアルプス山脈で軍事演習を行った際、凍てつく荒野に偵察に出た部隊が2日間行方不明になった。この部隊の生存が絶望視されだした3日目、偵察隊は無事に帰ってきた。なぜ無事に帰れたのかと尋ねると隊員は『我々は遭難し、もうだめかと思ったのですが、隊員の一人が地図を持っていたため、冷静になることができました。そして吹雪をやり過ごし、地図に従って帰ることができました』と語った。そこでその地図を見てみると、それはアルプス山脈の地図ではなく、ピレネー山脈の地図だった」 笑い話にも感じますが、絶望する状況において、地図を見つけたことで全員が「助かる」と現状を捉えなおしたこと、すなわちセンスメイキングできたことが、隊員の命を救ったことを物語るエピソードになります。

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的外れではない「確からしい」方針が必要
これを組織変革に置き換えてみれば、経営者は従業員に方針という名の「地図」を掲げ、それを腹落ちさせることが重要になります。この際の地図は、正しいに越したことはありませんが、まずは、大きく外れていないことが大事になります。特にビジネスにおいては、完全な正解は事前に分かりません。どれだけAIなどの予測精度が上がっても、未来を完全に予測することは不可能です。ゆえに、「確からしい」方針を、経営者は打ち出す必要があります。
もちろん、でたらめな方針ではだめです。先ほどの逸話でも、隊員が見つけたのが市街地の地図だったら、隊員たちは希望を見出すことができなかったと思われます。しかし、完璧を求めすぎて方針を出すのに時間がかかりすぎたり、失敗を恐れてそもそも方針が出せなかったりするのは、望ましくありません。少なくとも方針の正確性にこだわりすぎてはいけないと言えます。
従業員の腹落ちには経営者とのコミュニケーションが鍵
また、先ほどの逸話では触れられませんでしたが、従業員を腹落ちさせるには、コミュニケーションも重要です。組織変革では、経営者が目指す方針を、従業員に伝えていかなければなりません。経営者が自分の言葉で語りかけたり、わかりやすい象徴的なマテリアル(上記の地図のような)を用意したりすることも有効でしょう。また、経営者が一人で抱え込みすぎず、自分の思いを伝える伝道師を組織内に作り上げて、波及していくことも重要です。
しかしこのコミュニケーションがうまくいかないケースも多く見られます。社長が自らの持つ言葉の重要性を理解しない場合、方針は伝わらないことがあります。例えば、社長がコミュニケーションを面倒くさがり、従業員と向き合う態度を示さない場合、従業員は社長に不信感を抱く可能性があります。または、対話の会と言いながら、一方的に経営者が話すだけの会にしたり、質問担当のサクラを仕込んだりしていると、心ある従業員はコミュニケーションに不信感を持ちます。
従業員が腹落ちしないことを従業員のせいにする方もいらっしゃいますが、経営学的には経営者の責任であると考える方が一般的だとは思います。
さて、あなたの会社の経営者は上記のような「センスメイキング」を意識していますか?または、あなたが経営者自身であるならば、従業員の腹落ちをどれほど重視していますか?今一度見つめなおしてみてください。(第4回に続く)
本連載は、東京大学大学院の大木清弘准教授(2017年度から2024年度まで経営アカデミー「経営戦略コース」のグループ指導講師を担当)に執筆いただき、生産性新聞に掲載された記事です。
生産性新聞2024年7月5日号:連載「組織変革の羅針盤」掲載分

経歴:
2007年東京大学経済学部卒業。08年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。11年同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。12年同大学より博士(経済学)。関西大学商学部助教、東京大学大学院経済学研究科講師を経て、20年より現職。専門は国際経営論、国際人的資源管理論。2009年国際ビジネス研究学会優秀論文賞、15年国際ビジネス研究学会学会賞。著書に『コア・テキスト国際経営』(新世社)など。