ソニー銀行、コンサルティング事業のエコノミクスデザイン、慶應義塾大学の星野崇宏教授らは、顧客が保有する金融資産全体に占める同行の預金額の割合、いわゆる「シェア・オブ・ウォレット(SOW)」を推定する予測モデルの研究を実施した。SOWは、顧客が自社とどの程度深く取引しているかを示す指標の1つとなる。本研究は、日本生産性本部が調整役となり、産学連携の枠組みで進めた。実務と学術の知見を融合し、データ活用の新たなモデルケースを示す取り組みとなった。

内部データに外部データを掛け合わせる
共同研究には、ソニー銀行データアナリティクス部マネージャーの出越陽氏、同部1課長の杉山陽祐氏、エコノミクスデザイン代表取締役・共同創業者の今井誠氏、星野教授、名古屋大学大学院経済学研究科講師の篠田和彦氏らが参加。内部データと政府統計を融合し、「見えない資産」を可視化する試みだ。
出越氏は「銀行が保有する口座情報や取引履歴は自社内の動きに限られます。顧客が他の金融機関にどれだけ資産を持っているかは直接観測できません。それでも、預金獲得の戦略や資産形成提案を高度化するには、顧客全体の資産状況を推し量る視点が欠かせません」と説明する。
こうした課題意識を背景に始まった共同研究は、顧客別のSOW推定を目標に掲げた。活用したのは、年齢や残高推移、アンケートによる自己申告の金融資産階級データといった内部データに加え、公的統計などの外部データ。自己申告の資産階級を教師データとして顧客の金融資産規模を予測するモデルを構築し、その結果からSOWを推定するアプローチを採用した。星野教授は「銀行のデータは非常に詳細ですが、その銀行の顧客に限られます。一方、国の統計は社会全体の資産分布や世帯属性別の傾向を示します。両者を組み合わせることで、母集団全体を踏まえた補正が可能になります」と話す。どの統計をどの段階で活用するかという設計が精度向上の鍵を握った。
内部データのみの場合と外部統計を加えた場合の予測精度を比較した結果、一定の改善効果も確認された。学術的妥当性を担保しつつ、実務への応用可能性を定量的に示した点は、産学連携ならではの成果だ。AIトップカンファレンスにも採択経験が豊富で具体的な方法論に携わった篠田講師によると、分析には複数の決定木を組み合わせて予測する機械学習手法「ランダムフォレスト」を採用。学習データに過度に適合する「過学習」を抑制しながら、高い予測精度を確保した。
さらに、金融資産の分布が低資産層に偏っているというデータの特性(不均衡データ)を考慮し、統計学的な工夫を導入。あえて低資産層のデータを絞り込む「アンダーサンプリング」と、繰り返し抽出を行う「ブートストラップ」を組み合わせることで、抽出が難しい高資産層の予測精度を大幅に向上させた。これにより、一律の予測では埋没しがちな重要顧客層を確実に捉えるモデルを実現した。
「説明可能性」を重視し、現場で使えるモデルに
星野教授らが特に重視したのは「説明可能性」だ。精度が高くても、なぜその推定結果になったのかを説明できなければ、営業現場や経営判断には活用しにくい。そのため、個々の予測結果について要因を示せる仕組みを整備した。そこで、個々の予測結果に対して影響を与えた要因(投資経験、年収、職業など)を可視化する手法を導入。これにより、「運用予定額が一定以上かつ会社役員であるため高資産層である確率が高い」といった具体的な根拠を示せるようにした。
出越氏は「分析結果をどの施策にどう活かすかまで踏み込んで議論できたことが大きい」と評価する。
共同研究により、銀行のデータサイエンスに対する視点も深化。出越氏は「従来は全体精度を重視しがちでしたが、SOW推定では少数クラスである高資産層の予測精度が重要です。不均衡データへの対応やクラス別評価の必要性を再認識しました」と振り返る。
個別予測の解釈を通じて、投資経験や運用予定額、年収、職業などの変数がどのように推定に寄与しているかを具体的に把握。モデルをブラックボックスとして扱うのではなく、顧客行動や背景を理解する分析プロセスとして活用する姿勢が社内に浸透するきっかけとなった。

人材育成やサービス高度化へ
共同研究は、銀行の人材育成の観点でも意義が大きい。研究者による洗練された前処理や特徴量設計、モデル評価の手法を実務担当者が体験したことで、分析結果を正しく解釈し業務に活かす力が養われたと言う。今後は施策の効果検証や改善サイクルをデータに基づいて回し、組織全体の分析力向上につなげていく考えだ。
予測モデルの導入により、顧客ごとの資産規模と占有率が可視化される。占有率が低い顧客には追加提案の余地があり、既に高い顧客には資産運用やライフプラン支援など預金以外の付加価値サービスを検討できる。目指すのは、顧客一人ひとりの状況に応じた過不足のない提案。それが納得感の高い金融サービスにつながる。さらに同行は、高速なPDCAサイクルの構築も視野に入れる。一定水準に達した段階で実装し、運用結果を検証しながら改良を重ねる。研究と実務が往復することで、モデルは継続的に高度化していく。

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産学連携体制の成果
杉山氏は、産学連携を進める上で、日本生産性本部の役割が大きかったと語る。「日本生産性本部が橋渡し役となり、双方が同じ方向を向いて議論できる環境を整えてくれました」。
プロジェクトがスムーズに進行した背景には、エコノミクスデザインによる徹底したゴール設計がある。杉山氏は「過去の共同研究の中にはドメイン知識の共有に苦労したり、目的が明確に伝わっておらず成果物が実務から乖離したりすることもありましたが、今回は非常にスムーズに進行できました」と評価する。
この点について、篠田氏は「プロジェクトの全フェーズにおいて、銀行側がこの協業から何を得たいのかを繰り返し議論しました。ビジネス上の目的を明確に定義できれば、我々の知見や技術をどう適用すべきかという解決策に迷いなく注力できるからです」と話す。
生産性運動の在り方を探索~日本生産性本部総合アカデミー・口村直也
データが新たな価値を生み出す時代を本格的に迎え、デジタルテクノロジーと経済学の発展・融合による生産性向上の可能性は飛躍的に高まっています。日本生産性本部が企業活動とアカデミズムの知見を橋渡しし、産学共同プロジェクトの運営を担えたことは、データが貴重な経営資源とされる時代において、生産性運動の在り方を探索する上で意義深い機会となりました。
生産性新聞2026年3月25日号:「顧客金融資産推定に向けた産学連携研究~データ活用の新しいかたち」掲載分
登場人物の所属・役職は新聞掲載時のものです

「生産性」という言葉を、ニュースや職場で耳にすることはありませんか?いま社会全体で注目されている一方で、その本当の意味は以外と知れらていません。