連載第4回では、東大発のイノベーション教育プログラムi.schoolから生まれた「熟達者AI」というサービスを紹介する。熟達者本人の協力を得ることで、独自の視点に基づいた個性的な回答が得られる。i.schoolおよびその創設者である堀井秀之氏の熟達者AIの紹介を通じて、アイディアやイノベーションを創出する創造的な仕事への活用可能性を探る。

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i.schoolとは
i.schoolは、2009年6月に東京大学知の構造化センターの教育部門としてスタートしたイノベーション教育プログラムである。同センター長であった東京大学工学部教授(当時)の堀井秀之氏が、世界的に優れた製品やサービスを生み出す人材を育てる必要があると考えて立ち上げた。
2017年に東京大学から独立し、2016年に設立した日本社会イノベーションセンター(以下、JSIC)の下で運営されている。現在は、もともとの対象であった大学生・大学院生のみならず、中学生・高校生の探究学習から社会人の研修に至るまで幅広い対象に、アイディア創出法を教えたりイノベーションワークショップを提供したりしている。

i.school流のアイディア創出法では、人間中心アプローチで目的やニーズに着目して新規性の高い破壊的イノベーションを生み出すために、アイディアを生み出すプロセスに着目してモデル化している点に大きな特徴がある(図1)。そして、アナロジー思考、ニーズ×シーズ発想、未来探索、エスノグラフィック、エクストリームユーザー、バイアスブレイキングなどの新規性を生み出すアプローチを使い分ける。 製品・サービスからビジネスモデルや社会システムに至るまで、新規性の高いアイディアを生み出し主体的に課題解決できる人材を育成するために、これらのスキルセットを身に付けると同時に、マインドセットやモチベーションも涵養している。i.school修了生には、AIなどの技術を活用して都知事選や参院選での選挙活動を展開した、チームみらい党首・参議院議員の安野貴博氏もいる。

まるで熟達者本人のように振る舞う「熟達者AI」
「熟達者AI」は、i.school発のi.schoolTechnologies(2024年1月設立)が提供する、熟達者の知見に基づき回答する生成AIのサービスであり、2024年7月から提供が開始されている。i.schoolTechnologiesでは、「『熟達者AI』を通じて、学びの未来を創造する」という理念を掲げている。
熟達者とは、10年以上の研鑽を積み知見が組織化されている人のことである。暗黙知だけでなく言語化された形式知として蓄えている豊富な実践知や経験を、社会のために活用しようとする意識も高い。「熟達者AI」は、熟達者の書籍、メモ、独自インタビューなどのウェブ上にない情報も学習したり、熟達者本人の協力のもとAIの回答の質を確認し改善・更新を実施したりすることで、まるで熟達者本人かのように、独自の経験や視点からの具体的な回答をしてくれる点に特徴がある。
現在は、アイディア創出を専門とする堀井秀之氏をはじめとした、デザイン、スタートアップ、社会学、水文学などの5人の専門家の熟達者AIが実装されている(図2)。


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アイディア創出における「熟達者AI」の活用
アイディア創出を専門とする堀井秀之AIには、
①アイディア創出に関する思考方法、
②イノベーションアイディアの発散、
③アイディアへのフィードバック、という三つの方式で質問することができる。
②のように直接的に10個程度のアイディアを出してくれるだけではなく、③のように自身の考えたアイディアへのフィードバックを受けることもできれば、①のようにアイディア創出のための方法論や思考方法についても質問できる。
もちろん、他の生成AIサービスに対しても同様の質問はできるが、一般的な生成AIサービスが総花的で何か一つに絞り込むような回答が得づらい一方で、「熟達者AI」ではより具体的な回答が得られる。前述のアイディアを生み出すプロセスの標準モデル(図1)の場面に応じて用いることで、イノベーションワークショップの成果を高める方法も検討されている(i.schoolTechnologiesのnote参照)。
また、何を質問すればよいのかわからない時には、「知形図」を活用してキーワードや質問を見つけることができる(図3)。「知形図」は、熟達者の専門領域を地形図のようなマップに落とし込んだもので、専門領域におけるキーワードを抽出し可視化している。キーワードをクリックして生成される質問を用いることで、理解や探究を深められる。

人とAIとの協働による創造性
「熟達者AI」というサービスから以下のような示唆が得られる。
第1に、アイディアやイノベーションの創出のような創造的な仕事でのAIの活用の可能性である。既にAIは様々な場面で用いられており、創造的な仕事も例外ではない。アイディア創出のプロセスやアプローチの体系化があってこそAIを活用した創造的な仕事を効果的・効率的になしうるという可能性も示唆されている。

第2に、人とAIの協働の多様な可能性である。前回紹介した「人withAI」を掲げる「reflect」とは異なる形の協働で、熟達者の知見をAIに落とし込み、熟達者自身では不可能ないつでも誰でもアクセスでき対話できる状態を目指している。この点は、チームみらいが実装した、YouTubeのライブ配信と電話で24時間政策に関する質問に答えてくれるAIアバター「AIあんの」とも類似する。
第3に、AIによる人と社会の変化の可能性である。「熟達者AI」は、「専門家に質問しながら学ぶ」という新しい学びのあり方を見据えて開発されている。
「熟達者AI」という新たなAIの活用法によって、社会全体の教育のあり方が変化すると同時に、自ら立てた問いの答えを探究し、知を創造するという知的で創造的な喜びのある体験を個人にもたらしてくれる。

(わかばやし・たかひさ) 東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了・博士課程単位取得退学。高崎経済大学講師などを経て2017年から現職。専門は、経営学、組織論、教育工学。第5回リンダウ・ノーベル賞受賞者会議(経済学分野)参加。金融庁公認会計士試験試験委員(2024年度から)。著書に『地域を変革するリーダーシップの展開』(日本経済評論社)など。NPO法人日本アクションラーニング協会認定シニアALコーチ(チームコーチングの一手法)としても活動。
生産性新聞2025年11月15日号:「組織におけるAIコーチング第4回」掲載分
登場人物の所属・役職は新聞掲載時のものです