【経済学×生産性の最前線】第2回:価格設定こそ科学的方法で

新商品の値付け支援サービス

本連載の第2回では、企業利益に直結するプライシング、とりわけ難易度の高い「新商品の値付け」を取り上げます。

星野教授と政策研究大学院大学の安田洋祐教授は「日経Book Plus」に毎週プライシングの連載を行っています。
ぜひご覧ください。>>>

プライシングの難しさ

1995年頃から続いたわが国の慢性的なデフレ環境のもと、日本企業の多くは値上げを避け、コスト積み上げ型の値付けを慣習化してきました。一方、この30年で海外では価格に関するビジネスサイエンスが大きく進展しましたが、その学知はほとんどわが国の現場に届いていません。原材料費や人件費の急上昇を受け、企業は価格戦略の重要性を意識し始めましたが、根拠ある値付け手法を持つ企業はごくわずかです。日本企業の多くは原価に利益率を載せる「コストプラス値付け」を行っていますが、“安く売り過ぎて利益が少ない” または “コスト急上昇で価格が高くなりすぎ需要が急減する” といった悩みが増えています。

なかでも難しいのが新商品の値付けです。過去の売上データが存在せず、類似商品があってもその機能や新規性が異なれば参照価格としての意味は乏しくなります。結局のところ消費者調査に頼らざるを得ませんが、ここで2つの大きな壁が立ちはだかります。

1つ目は「仮想バイアス」です。実際に金銭を支払う場面ではないため、消費者は実購買時よりも高めの金額を答えがちになります。例えば、飲料メーカーが画期的なレモンサワーの新商品を開発し、市場調査で価格を尋ねるとしても、回答者は実際に支払うわけでもないので、よくある商品の例えば2割増しぐらいで答えるでしょう。

2つ目は「戦略的回答」です。あるゲーム機メーカーが既存ユーザーに次世代機の支払上限額を尋ねたとします。回答者は自身の回答が将来の販売価格に影響するかもしれないと考え、本心より低めの金額を答える誘因が働きます。従来の調査手法は、これら2つのバイアスを構造的に取り除けないため、真の支払意思額(WTP)を捉えることができません。Jeonら(2024年)のメタ分析によれば、調査データから推計された価格弾力性(価格への反応)は実購買データから得られる値より大幅に低いことがわかっています。またSchmidtandBijmolt(2020年)が77研究、約4万5千人のデータを統合したメタ分析でも、仮想的な調査によるWTPは実購買と比べ4割以上も乖離する可能性があることが示されています。値付けの基礎となるデータが歪んでいては、いかに精緻なモデルを組み上げても妥当な価格は導けません。

BDMオークションを活用

私たちはこの課題に対し、経済学のBDMオークション(Becker―DeGroot―Marschak法)を活用したサービスを開発し、特許を取得しました。仕組みは次のとおりです。回答者にあらかじめ謝礼を渡し、対象商品の入札額を申告してもらいます。事後に乱数で「市場価格」を生成し、入札額が市場価格以上であれば商品と差額の謝礼を、未満であれば謝礼をそのまま受け取ります。回答者にとって入札額を高く偽れば不要高値で買わされる損失が生じ、低く偽れば本来欲しい商品を買い損ねる損失が生じます。したがって自分の真のWTPを正直に申告することが回答者にとって最適戦略となります。これを誘因両立性(incentivecompatibility)と呼びます。BDMは1996年ノーベル経済学賞受賞者ウィリアム・ヴィックリーが提案した第2価格オークションと数学的に同等であることが知られており、Millerら(2011年)など多くの先行研究で、実購買の予測精度において従来の調査手法を大きく上回ることが実証されています。

得られたWTP分布から、各価格におけるトライアル確率曲線を導くことができます。日用消費財(FMCG)についてはインテージ社が保有する高品質な小売店パネルデータと組み合わせ、認知率・配架率・リベート金額・広告費といったマーケティング変数を加味することで、価格別の市場シェア、売上金額、利益金額を高い精度で予測することが可能となりました。これにより、売上最大化価格と利益最大化価格を分けて算定し、企業の戦略目的に応じた値付けの提案ができます。

新商品の価格決定に採用

すでに本サービスは実務に活用されています。アサヒビール・アサヒ飲料との包括的な業務提携では、今後発売予定の商品やサービスの価格決定の参考ツールとしてBDMオークションが採用されました。インテージ社との共同提供サービスでは、会場調査(CLT)形式でターゲット顧客に新商品の広告を視聴させ、BDM入札を実施します。この会場調査では、スーパーやコンビニの棚を再現し、競合製品を並べて実購買場面に近い環境を作ります。消費者は店頭で競合商品の価格と比較して購入を決めるため、こうした環境でBDM入札の精度をさらに高められます。加えて、スーパーとコンビニでは通常、同一商品でも価格設定が異なります。両者の棚を別々に再現することで、販売チャネルごとに異なるWTPの測定ができる点も大きな特長です。さらに試用後のリピート意向も聴取し、トライアル・リピート構造を踏まえた販売チャネル別の精緻な売上予測を提供しています(=図)。

学知を活用し付加価値創造

このように、従来想定よりも高い価格帯での発売を裏付ける根拠資料として活用された事例も少なくありません。守秘義務の関係で詳細は明かせませんが、あるネット系サブスクリプションサービスについて当初想定の2.5倍程度の価格設定が妥当と判明し、結果として大きな利益を実現した事例もあります。

値付けは企業の付加価値創造に直結する経営判断であり、もはや勘や慣習に委ねるのではなく、誘因両立性に基づく科学的方法へ委ねるべき領域です。デフレ脱却期に入った日本企業にとって、学知に裏打ちされたプライシングの実装は、生産性向上の最も実効性ある一歩となるでしょう。既存商品の価格改定については別途実例を交えて取り上げる予定です。

生産性新聞2026年5月25日号:「経済学×生産性の最前線」第2回掲載分
 登場人物の所属・役職は新聞掲載時のものです

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