合理的な意思決定の限界と、リベラルアーツが必要な理由
経営を担う人には、合理的な意思決定が求められる。必要な情報を集め、論理的に解を導く力であり、MBA教育が磨いてきた技能でもある。この能力は、いまも欠かせない。
しかし、実際の経営はそれだけでは動かない。環境が激しく変わるなかで、限られた情報のまま決断を迫られる場面は少なくない。そうしたとき、合理性だけでは答えにたどり着けないことがある。
では、その先で経営者を支えるのは何か。近年あらためて注目されているのが、リベラルアーツ、すなわち哲学、宗教、歴史といった、合理性だけでは割り切れない領域の学びである。人間や社会への深い理解が、確実性の失われた時代における判断の土台を支えるという考え方である。
そして、この考え方をかつてない強さで後押ししているのが、生成AIの普及である。
生成AIが「答えを出す仕事」を担い始めた時代の経営課題
生成AIは、経営の風景を大きく変えつつある。これまで人間が担ってきた「答えを出す」仕事―情報を整理し、分析し、合理的な解を導く作業―を、AIが速いスピードで引き受けはじめたからだ。
その現状は、経営者たちの議論の場にも表れている。2026年7月の日本生産性本部「軽井沢トップ・マネジメント・セミナー」の統一テーマは「AI共生時代の生産性改革」だった。総合コーディネーターの冨山和彦・日本共創プラットフォーム会長は、この変化を「DX(デジタル技術による変革)からAX(AI技術による変革)の時代へ転換した」と表現した。さらに、生産年齢人口が減少するなかでのAIの登場を「日本経済、日本社会にとって僥倖(ぎょうこう)だ」ととらえ、ホワイトカラーが答えを出してきた時代は終わりつつあると指摘した。
ここで浮かび上がるのは、「答えを出す仕事がAIに移るのであれば、経営者に残る仕事は何か」という問いである。
この問いに、私ども日本生産性本部の小林喜光会長がセミナーの冒頭挨拶でひとつの答えを示している。「『何のために』『何を作るのか』という問いを立て、AIを動かす起点となるのは人間である」という。そして、「『分かること』はAIに任せ、『分からないこと』を経営者が引き受ける」と続けた。
2026年7月に開催された「軽井沢トップ・マネジメント・セミナー」の開催レポートを見る⬇

軽井沢トップ・マネジメント・セミナー
答えが誰にでも等しく手に入るようになると、答えそのものの価値は下がっていく。代わりに希少になるのが、問いを立てる力、価値を判断する軸、そして「何のために存在するのか」を言葉にする力だ。いずれも情報処理の延長では得られない、人間ならではの領域であり、リベラルアーツが長く鍛えてきた分野だといえる。
日立・ANAの経営トップが語る「AIに求められる力」
これは抽象論ではない。第一線の経営者たちの言葉をたどると、同じ地点が具体的に浮かび上がってくる。
日立製作所の東原敏昭・取締役会長は、2026年5月15日に開催された「生産性経営者シンポジウム~付加価値増大を軸とした生産性経営の実践」において、経営者にいま最も求められるものは「未来をどう見るか」だと語っている。5年前、生成AIをこれほど日常的に使う日が来ると予想できた人は、ほとんどいなかった。その不確実性のなかでも、未来を先読みし、事業を組み替えていく力が求められる。過去のデータを最適化するのが得意なAIにとって、これは最も苦手な領域でもある。東原氏はあわせて、日立が培ってきた「壊れない品質」の思想に触れ、AIの時代だからこそ人間同士が信頼関係を築く力が重要になると説いた。
ANAホールディングスの片野坂真哉・取締役会長は、同じく生産性経営者シンポジウムにおいて、「ヒトが主役の組織と付加価値創造」という講演テーマのなかで、AIやデジタルを恐れて遠ざけるのではなく、まず使ってみることの重要性を語った。そのうえで多様性を尊重し、人に投資し、リスキリング(学び直し)によって人材を育てていく。効率化の先に、人にしか生み出せない付加価値を置くと述べた。これは技術の使い方というより、経営の考え方そのものである。
日本生産性本部の「生産性経営者会議」が2040年を見据えてまとめた提言も、方向性は重なる。付加価値の源泉は、モノからコトへ、さらに感性や信頼へと移ってきている。この移り変わりを見抜き、限られた情報のなかで激変する環境の先を読んで決断することが求められる。その判断は、最後は経営者自身の信念によるところが大きい。そして信念は、長く積み重ねた学びや経験からしか育たない。
東原氏、片野坂氏が語った公開シンポジウムの「動画」を見る ↓

2026年5月15日に公開シンポジウムを開催、提言「付加価値増大を軸とした生産性経営の実践~2040年、日本を世界の生産性トップリーグへ導く経営変革の道筋~」を発表
リベラルアーツがいま求められる3つの背景(地政学・ガバナンス・人的資本経営)
こうした力が、なぜいま特に求められるのだろうか。背景には、経営を取り巻く3つの流れがある。
ひとつは、地政学の分断だ。調達の不安、覇権争いの激化のなかで、合理的な最適解が見えない問いに対し、価値判断によって答えを出す場面が増えている。
もうひとつは、コーポレートガバナンス改革である。社外取締役の実効性が問われ、監督機能の強化が進むなかで、経営者には事業の細部よりも「この会社は何のために存在するのか」を問う大局観が求められている。
3つめは、人的資本経営だ。人を資本ととらえ、その価値を開示する時代において、経営者自身が「人間とは何か、どう生きるか」への理解を欠いていては、人を活かす戦略は描くことは難しい。
いずれも、財務や戦略の知識だけでは乗り越えにくい課題である。哲学や宗教、歴史、文学が積み上げてきた人間への理解が、意思決定を下支えするのである。リベラルアーツは、教養という名の余技ではなく、経営の実務に効く力として見直されている。
社内でいかに経営人材を育成するか。具体的プログラムを見る ↓
「問いを立てる経営者」をどう育てるか~次世代経営人材とリベラルアーツ
生成AIは、経営から「答えを出す」労力の多くを引き受けていくだろう。しかし、問いを立てること、価値を判断すること、存在意義を語ること、この人間に残されたこの領域が、これからの経営の成否を分けていく。裏を返せば、この領域を育てなければ、次世代の経営人材は育たない。
日本生産性本部が次世代経営人材の育成にリベラルアーツを据えているのも、こうした理由からである。教養(大局観)を土台に、経営リテラシー、リーダーシップ、経営戦略構想を積み上げていくという考え方である。教養を単なる飾りではなく、経営判断を支える基盤として位置づけている。
AIが答えを出す時代の勝敗は、どれだけ良い問いを立てられるかで決まっていく。その問いを立てられる経営者をどう育てるか。それが、いま経営の現場に問われている。
執筆者:日本生産性本部 執行役員コンサルティング部長 前田 貴規
日本生産性本部が実施する「経営幹部育成講座」
日本生産性本部では、リベラルアーツを交えた経営幹部養成を長年実施してまいりました。
1.次世代経営幹部育成プログラム(CLP):経営リテラシー(理論)、リーダーシップ(実行力)、大局観(教養)を兼ね備えた次世代経営幹部の育成プログラムを実施中です。2026年度は第24期が進行中です。
2.経営者養成講座 Art Of Management Program:「経営は哲学なり、経営はアートなり」をモットーに、2026年度は第14期が進行中です。
詳しくは以下をご覧ください。

